どうも、サンモトです。
3月11日は私の誕生日で、今年(2021年)で28歳になります。
自分の誕生日にこんな暗い話をするのもどうかと思ったのですが、節目の日という意味ではちょうど良いかとも思ったので語らせてもらいます。
タイトルにもある通り、この記事では私が『強迫性障害』になってから落ち着きを取り戻すまでのことをざっくりと書いていこうと思います。
「前もって言っておきますが、私自身は医療関係者ではありませんし専門的な知識・経験も持ち合わせているわけではありません(本やネットで軽く調べた程度です)」
「あくまで私個人の体験を元に語ろうと思っているので、どこかおかしな部分があっても優しくスルーして貰えたら嬉しいです」
「少々長くなってしまいますが、それでも良いと思える人はお付き合いくださると嬉しいです」
強迫性障害とは何か?
私自身の体験を話す前に、まずは『強迫性障害』について簡単に触れておきます。
「『強迫性障害』とは、ある物事や状況に対して過度の不安や恐怖を感じる症状のことです」
「不安障害の一種で、強迫観念と強迫行為が特徴の病態とされています」
「症状の例を挙げると『潔癖症』『加害恐怖』『確認行為』『儀式行為』などがあるそうです」
私は専門家や医療関係者ではないので、これらの症状について細かく説明することはできません。
なので詳しく知りたい人は各自で調べてもらうしかないのですが、一つだけ注意してほしいことがあります。
「強迫性障害の症状は個人差があり、共感できる部分もあれば全く理解できないようなこともあると思います」
「私も他の強迫性障害に苦しんでいる人の事例をいくつか見聞きしましたが、共感できる部分とできない部分はかなりありました」
「世間話ぐらいに軽く見聞きする程度なら問題ないと思いますが、『自分に置き換えて考える』ぐらいになると悪影響を及ぼす危険があります」
「なので、強迫性障害の人の話に共感し過ぎたり無理に理解しようとしたりしないでください」
↓この記事を書くにあたり、参考として読んだ本を紹介しておきます。
異変の始まりは唐突に
私は高校卒業後に就職し、自動車関係の工場で働くようになりました(今もそこで働いています)
私が自身の異変を感じ始めたのは働き始めてから2年くらい経った頃で、20歳の時でした。
その頃の私は仕事内容や人間関係に強いストレスを感じており、とりわけ大きなストレスだったのが同期入社の同僚たちとの関係でした。
私は昔から内向的で人付き合いを苦手としていましたが
「(これから同じ職場で働くのだから、自分から協力的な関係を築かないといけないかな・・・)」
「(これも仕事だと思って頑張ろう!)」
働き始めた頃はこんな風に珍しく意気込んでいたような気がします。
当時は気づきませんでしたが、新しい環境に対する期待や不安で柄にもなく気分が高揚していたのです。
しかしそれからすぐに、私は些細なことがキッカケで同僚たちに不信感を抱くようになりました。
そのキッカケに関しては詳しく書くような事でもないので割愛しますが、その不信感は時間が経つにつれて嫌悪感に変わっていきました。
「(時間が経てば、この嫌な記憶もその内忘れられるだろう・・・・・・)」
という私の儚い希望とは裏腹に、日々感じる不快感は増していきます。
同僚たちの姿が目に映る度、声が耳に入る度に、まるで『見えない何かに自分が汚染されていく』ような感覚に陥るようになっていました。
その感覚を払拭するために身体の露出している部分(手や顔など)を水で頻繁に洗うようになり、手や耳の辺りがカサカサに乾燥するまで念入りに洗っていました。
汚れることを過度に恐怖する状態、所謂『潔癖症』という症状です。
それが私の身に起こった最初の異変で、それを皮切りに『確認行為』や『加害恐怖』など、強迫性障害にみられる他の症状も出てくるようになったのです。
“強迫性障害”を自覚してから
私は自身の変化に戸惑い、焦って、自分に何が起こっているのかを調べました。
その当時は『強迫性障害』という言葉を知らなかったため、自分の症状に関連することを片っ端からネットで検索しました。
その時に『強迫性障害』というものの存在を知り、自分がそれに該当することがわかりました。
「(まさか自分がそんな病気になるなんて・・・)」
という気持ちで呆然と頭を抱えるしかありませんでした。
私は自分自身のことを強い人間だと思ったことはありません。
しかし、どうやら自分が思っていたよりもずっと弱い人間だったようです。
兎にも角にも病気だとわかった以上、何か手を打たなければなりません。
まずは病院で診断を受けるかどうかで悩み、結局一度も受診することはありませんでした。
「いやいや、病院行ってないのかよ!」
そう突っ込まれるかもしれませんが、『自分が(精神的)病気であることを告白する』ということがどれだけ難しいのかは実際になった人にしかわからないと思います。
特にその頃の私は人間不信気味だったので、『他人に相談する』という選択肢は考えられませんでした。
身近な家族にも打ち明ける気にならず、
「(こんなことを話したところで理解されるわけがない)」
「(他人に弱さを見せたらつけこまれるだけだ、トドメを刺されるぞ!)」
「(敵か味方かもわからない相手に隙なんか見せられない)」
こんな風に考えていたと思います(今思い返してみると病的という表現がピッタリですね)
そんな経験をしたので、今の私は『自分の弱さを他人に見せられる人』を尊敬します。
私にはとても無理だと思いましたし、今でもできないと思います。
だからあの当時は誰の手も借りずに
「自分一人でこの病気を治してみせる!」
と心に強く刻みつけたのを覚えています。
しかし今考えてみると、それは賢明な選択ではありませんでした。
心身共に限界を迎える
「自分一人でこの病気を治してみせる!」
そう意気込みはましたが、ただの素人なので具体的な解決策などわかりません。
相変わらず何かする度に不安や確認行為の衝動が私を襲います。
必死にそれを耐えて、自分にこう言い聞かせます。
「(大丈夫、きっと大丈夫・・・!)」
「(考えているようなことにはならない・・・なっていない・・・)」
あたりまえですが、そんなことをしても何も変わりませんし、そもそも何も起こっていません。
一から十まで自分の精神の問題なので、現実は変わらずそこにあるだけです。
しかし私が感じている恐怖や不安が、頭の中にしかない悪いイメージを現実に塗り替えていきます。
湧き上がる衝動は消えるどころか強くなり、時間は無駄に過ぎ、気力と体力が失われていきます。
周りに変な目で見られないように、必死に隠しながら日々を過ごしていました。
そうしている内に自分から行動を起こす事自体が煩わしくなり、段々と気力もなくなっていきました。
「(苦しい思いをするぐらいなら、何もしたくない・・・・・・)」
「(何もしなければ、少なくとも疲れることはなくなる・・・・・・)」
そんな風に考えて、無気力に毎日を過ごしていました。
日々溜まっていくストレスは、食べたり寝たりすることで解消するようになっていました。
当然そんな生活が健康に良いはずもなく、ついには身体も壊してしまいました。
心身ともにボロボロになった私は
「(何でこんなことになっているんだろうか・・・・・・)」
「(一体自分は何をしているんだ・・・・・・?)」
「(一人で空回りして、バカみたいだな・・・・・・)」
そう思った時、ふと自分自身の状況を改めて見直してみました。
病気を治そうと前向きなことをしているように見えて、実は根本的な原因から目をそらして逃げる事ばかり考えていました。
よく考えもせず行動して、意固地になって、事態を悪化させているだけです。
「こんなことがしたいんじゃない」
「この病気を治したい」
「普通の日々を享受したいだけだ」
どん底の状態になって改めて、自分が何をするべきか(したいのか)がわかった気がしました。
それはとてもシンプルなことでしたが、まともだった頃には意識できないことでした。
自分を見つめ直す
決意も新たに、私は現状を打開するための方法を考え始めました。
まずは疲弊しきった心と身体に活力を取り戻さなければなりません。
そのために私は心と身体に良いとされることを調べて、片っ端から試してみました。
「これらの方法がどの程度効果があったかはわかりませんが、私はどれも真剣な気持ちでやっていました」
「そうやっている内に自然と『外に向いていた意識を自分の内側に向ける』ことができ、同時に『客観的な視点で状況を眺める』ことを覚えました」
「その結果『この強迫性障害という病気には真正面から立ち向かっても勝てない』ということが直感的に理解できました」
「そこで『戦っても勝てない相手にはどうすればいいのか?』と考えた末に私は、“戦わなければよい”という結論に至りました」
強迫性障害は自分自身が生み出している『自分の影』のようなものだと私は認識しています。
『自分の影』を消すことはできないし、意識していてもいなくても『自分の影』は常にあるのです。
だから強迫性障害の治療法というのは、本質的には『自分(の影)を受け入れること』なのではないか、と当時の私は考えました(ここは素人の考えなので話半分に聞いてください)
対策に目星がつけば、次は具体的な方法です。
私は意識を集中させて
「(自分は何が大事・大切なのか?)」
「(自分は何が苦手で・何が嫌いなのか?)」
「(自分は何をやりたいのか・やりたくないのか?)」
といったことを自らに問いかけることを始めました。
自分と向き合うことで自分の価値観を再確認し、自分が向かうべき目標を作るためです。
そうしていると余計なことに意識が向かず、今まで感じなかった活力が湧いてくるのを感じました。
「(この苦しみから逃げたい!辛い思いをしたくない!)」
そんな風に思っていた時は暗く沈むような心地でしたが、
「(自分が大切だと思うものを守りたい。大事なものを取り戻したい)」
と思うと、不思議と気力が出てきたのです(昭和のヒーローみたいなセリフですね)
気力を取り戻した次は、自分がこの病気になった原因を探ることにしました。
強迫性障害の人を悩ませる
- 『潔癖症』
- 『確認行為』
- 『加害恐怖』
これらの症状自体をどうにかするためではなく、『なぜ自分がこうなったのか?』という根本的な理由を考えてみたのです。
私がこの病気になったのは社会人になってから変化した人間関係が原因で、そこだけ見ると問題は環境ということになります。
ならば環境を変えれば全て解決するのか?というと、そうではないと私は考えました。
精神の病気には、自分の心が深く関わってきます。
私の場合は
- 幼いころから内向的で、他人と関わることが煩わしかった
- 他人と関わろうとしないのは、世間的には変な目で見られると自分でもわかっていた
- 他人との交流を楽しめない自分はどこかおかしくて、無意識に負い目を感じていた
という生い立ちの部分が大きく関わっていることに思い至りました。
それらは私の生まれ持っての特質で、変えることができない(変える必要のない)ことでした。
こんな風に自分の事を掘り下げて考えながら過ごす内に、私はいつの間にか心身の不調が改善し始めていることに気づきました。
なぜかは自分でもわかりませんが、おそらくは自己肯定感が増したおかげではないかと思っています。
「心理学関係の本を読んだ時に知ったのですが、自己肯定感が低い状態が長く続くと心身に色々な不調が現れるそうです」
「私がしていた『自分自身を見つめ直す』という行為が、結果的に自己肯定感を高めるキッカケになったのではないかと思います」
その後も同じようにその作業を続けていると、徐々に快復へと向かっていきました。
それ以降は特に症状の悪化などもなく、時間をかけながら今の小康状態へと至ります。
今でも不安を感じる時や、普通ならこんなことは気にしないという部分が気になったりすることがありますが、以前ほどそれを強く感じることはありません。
「(あぁ、自分はそんな人間なんだ)」
と自分の事をありのままに受け入れられるようになったのです。
そして現在へ
こんな長い(そして読みにくい)話にお付き合い頂き、申し訳ない気持ちで一杯です。
強迫性障害についてよくわからない人(縁もゆかりもない人)は
「こんな人もいるんだなぁ~」
と思って頂ければ十分です。
「私がこの話を書こうと思ったのは自分の気持ちの整理というのもありますが、『色々な人に少しでも強迫性障害について知ってもらいたい(理解してもらいたい)』という想いがあったからです」
「私自身も自分がそうなるまでは、精神的な病気というのはどこか遠い世界の出来事のように思っていました」
「実際は誰にでもそうなる可能性は十分にあり、しかも何がキッカケで強迫性障害になるかは今もよくわかっておらず、その対処法も個人によって変わるのが現状です」
世の中にはずっとこの病気に苦しんでいる人もいれば、小康状態で何とか社会復帰できている人もいます。
実際にこの病気に苦しめられた一人として
「(この病気に苦しむ人が少しでも減ってほしい)」
と心底願っています。
私はあまり他人と関わり持ちたくないタイプなので、『結局は自分でどうにかするしかない』と考えてしまいます。
しかし、その考えにこだわり過ぎるのも危険であるということを今までの経験から学びました。
一人で出来る事は限られているし、周囲の理解・協力が得られるに越したことはないということも今なら断言できます。
一人より二人で、二人より三人で、三人より・・・と一緒になってこの病気に対処してくれる人が増えれば、それだけで悪い方向に進むのを防げる可能性はずっと高くなると思っています。
具体的にどうすればいいのか、というのはケースバイケースなので私には答えられません。
ただ確かに言えることは、誰にとっても『時間』は有限で貴重なものだということです。
意固地になったり、考え方を狭めるようなやり方で貴重な時間を無駄にするようなことにはなってほしくありません。
自分に出来る事は何でも試してみて、自分に出来ない事は周りに助けてもらうというのが理想的かなと私は思っています。
諦めず、悲観せず、自分なりにこの病気と上手く付き合っていく方法を探してみてください。
強迫性障害に苦しむ人(その周りの人)が一人でも多く普通の日常を取り戻せることを願っています。
こんな駄文を読んで頂き、ありがとうございました。
おわり
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