どうも、サンモトです。
↓最近こんな本を読みました。
「書籍のタイトルは『SOLO TIME (ソロタイム)「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である』で、著者は精神科医の名越康文さんという方です」
「今回はこの本を読んで思ったこと、感じたことを私なりの言葉でつらつらと書いていこうと思います」
「この記事の中に興味・関心を惹かれる事柄があれば、ぜひこの本を手に取って読んでみてください」
「私の書いた文章の中に、あなたの人生を豊かに変えるキッカケがあれば幸いです」
※著者の名越さんはご自身のYouTubeチャンネル『名越康文TV シークレットトークyoutube分室』をお持ちなので、興味のある方はそちらの動画もご覧になると新しい発見があるかもしれません
『群れ』の中で生きるということを考える
この書籍の中で
すべての人は、群れの中で生きている
(出典元:書籍『SOLO TIME (ソロタイム)「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である』より)
という言葉が出てきます。
「ここで言う『群れ』というのは、要するにコミュニティ(共同体)のことです」
「野生動物も自然の中で固まって行動する『群れ』を作りますが、人が作る『群れ』というのはそれと比べるとはるかに巨大で高度で複雑です」
「しかも『群れ』と一口に言っても人間の場合は固定された一集団に属しているわけではなく、人種・性別・年齢・国(地域)・家族・業種・思想など、様々な属性に跨って存在しています」
「生きている間は複数のコミュニティ(共同体)に属したり、渡り歩くこともあるので、一人一人の『群れ』の実態は曖昧としていて掴みどころがありません」
私たちはそんな『群れ』の中で生きて、各々の『自分の役割』を果たそうとします。
『自分の役割』とは、例えば
- 学校や会社で学業や仕事に勤めること
- 家族や友人との関係性を上手く取り持つこと
- 自分が暮らす国や社会に貢献すること
というような、自分が属している群れの中で果たすべき事柄です。
これらは幸せな人生を送る上で重要なことだと世間一般では認識されていますが、
「(それだけを頑張っても幸せになれるわけじゃないんだよなぁ・・・)」
と感じてしまうのは、多くの人が経験することだと思います。
「もちろん『群れ』の中で生きるメリットは沢山ありますし、そもそも人は群れの中で生きる社会的な生物です」
「『群れ』の中で暮らす以上、考え方や生活スタイルが『群れの基準』に引っ張られるのは自然なことで、『群れ』の中での『自分の役割』を全く考えずに生きるのは難しいです」
「しかし、それを踏まえた上で『群れの中で生きることの弊害』について考えることが人生を豊かにするために必要なことだ、というのがこの書籍の肝の部分になります」
この書籍の著者である名越康文さんは精神科医として多くの人と接する中で、
「人間関係が人生のすべて」になることが、現代人特有の不幸を生み出している。
(出典元:書籍『SOLO TIME (ソロタイム)「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である』より)
という結論を得たそうです。
「ここで言う不幸というのは『日常のふとした瞬間に感じる心の虚しさや疲労感』のことを指します」
「皆さんは普段の日常生活の中で、ふと『(自分は一体何のために生きているんだろう?)』という考えが思い浮かび、胸の内に深い虚しさや疲労感を感じたことはありませんか?」
「その感覚が生まれるのは『群れ』の中の人間関係に端を発しているかもしれません」
「多くの人が多様で複雑な人間関係を維持するために自分の貴重なエネルギー(時間、お金、精神力など)を費やします」
「特に時間に関しては多くの人が『限りある重要な資産』という認識を持っているにもかかわらず、人間関係の事となると惜しげもなく費やしてしまいがちです」
「“かけがえのない時間を自分のためではなく他人のために使ってしまっている”と考えれば、疲弊したり虚しさを感じてしまうのも無理はありません(-_-)」
「誤解のないように言っておきますが、決してそれらの行為が全て無駄とか無価値だと言いたいわけではありません」
「何事もやり過ぎは良くないということです」
著者の名越康文さんは『群れ』の中での自己実現は大切だが、それと同じぐらい(もしくはそれ以上に)大切なのは『群れ』の外での自己実現だと語っています。
『群れ』の中での自己実現というのは、例えば
- 幸せな家庭を築く(家族を支える大黒柱になる)
- 責任ある仕事に就く(会社で出世して重要な役職を務める)
などが挙げられます。
前述した『自分の役割』と被る部分がありますが、『群れ』の中での自己実現というのは自分以外の他人との関係がより密接になった状態と言えます。
「それらは必ずしも悪いものではありませんが、『群れ』の中の自己実現ばかりを追い求める人生というのは虚しさや寂しさを感じる原因にもなり得るのです」
「なぜならそれは自分が心から望んだものではなく、周りから求められたものである可能性が高いからです」
「そして『群れ』の中の自己実現で得られる幸福感というものは、他人と比較することでしか得られない相対的なものになりがちです」
「確かにそれらに懸命に取り組んでいる間は喜びや充実感を得られるので、虚しさや寂しさを感じることは少ないかもしれません」
「しかし、身の回りの環境やライフステージの変化が起これば『群れ』の中の自己実現から遠ざかる瞬間が必ず訪れます」
「そうなった時に多くの人が感じるのは解放感や喜びではなく、不安や虚しさなのです(-_-)」
人間は本来、どう生きたってかまわない。
(出典元:書籍『SOLO TIME (ソロタイム)「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である』より)
こんな言葉がこの書籍の中に出てきますが、この言葉を聞いて皆さんはどのようなことを感じますか?
「確かにそうだ!」
と言う人は沢山いると思いますが、心の中では
「(本当にそれで良いのだろうか?)」
と感じる人もそれなりにいるのではないかと思います。
「もちろん自分勝手に好きなことをして生きていけるほど今の社会は寛容ではありませんし、社会から求められることに応えること自体は素晴らしいものです」
「しかし、本来『どう生きるかは個人の自由である』という認識も忘れてはいけません」
「もし『他人からの期待』に応えるために、貴重な資源(時間・お金など)や自分の許容範囲を超える労力を費やしているのだとしたら、自分自身を見つめ直す必要があります」
「なぜなら『自分の人生を充実させて幸福に生きること』は何をおいても優先すべきことだからです」
だから人には自分の『群れ』の外で自己実現し、幸福感が得られるものを見つけることが大切になるのではないでしょうか。
『ソロタイム(ひとりぼっちの時間)』の重要性
「多くの人が群れの中での生き方に疲弊している!」
「群れの中ではなく、外での自己実現が大切です!」
このような事を言われても
「(じゃあ、どうすればいいのか?)」
という疑問が湧いてきますよね(-_-)
そこで登場するのがタイトルにもある『ソロタイム(ひとりぼっちの時間)』という考え方で、この書籍では一貫してその重要性が説かれています。
『ソロタイム(ひとりぼっちの時間)』とは『日ごろの人間関係から一旦手を離して、静かで落ち着いた、ひとりぼっちの時間を過ごすこと』を意味しています。
「なぜこの『ソロタイム(ひとりぼっちの時間)』が重要になるのかと言うと、私たちの普段の行動の多くは所属している群れの価値観に大きな影響を受けているからです」
「私たちは常に自分の意思で物事の判断をしていると考えがちですが、ほとんどの人は無意識に自分が育った環境や周りの人の意見・価値観に引っ張られた判断をしています」
「これを心理学では“認知バイアス”と呼ぶのですが、一般的には『偏見』や『先入観』と言った方がわかりやすいと思います(バイアスは偏りという意味の言葉です)」
「認知バイアス自体は誰にでもあるものだし、日常生活を送る上では認知バイアスに従った方が恙なく済むことが多いので、必ずしも悪いことばかりではありません」
「しかし『世間ではこうだから』『周りの人はこうしてるから』と『群れ(他人)』の価値観に基づいて選択をすると失敗したり後悔しやすいという側面があるのも事実です」
「多くの人が無意識に陥りやすい思考の罠と言えますね」
ここで大事なのは自分が下した判断・選択が『群れの価値観』によるものなのか『自分の価値観』によるものなのか区別できるようになることにあります。
『群れの価値観』と『自分の価値観』を見分けるためには、一度群れから離れて自分自身に問いかける時間を作る必要があります。
「そこで『ソロタイム(ひとりぼっちの時間)』の出番です」
「実際にやることとしては一人で旅行に行ったり、喫茶店に入ってゆっくり読書をしたり、目的もなく歩き回ったり、部屋の掃除をしたりと何でも構いません」
「『一人っきりの時間を明るく、爽やかに過ごす習慣を身につける』ことを心がけるだけです」
「そうすることで人は『群れ』の中で生きている内に見失っていた本当の『自分の価値観』に気付けるようになります」
「本当の『自分の価値観』に気づいた時、自分にとって何が大切で、自分はどうするべきなのかがようやくわかるようになるのです」
多くの人が『孤独』を恐れる理由
「一人きりで過ごす時間が大切です」
このようなことを言うと、
「(ひとりぼっちは寂しいよ)」
「(独りになるのは不安だわ)」
と感じる人が世の中には多いと思います
「私の周りにもこんな感じのことを言う人が本当に多いです(-_-)」
「そのような反応をする人達を(失礼かもしれませんが)私は昔から不思議に思っていました」
↓私は以前こんな記事を書きました。
「この記事の中で私は『孤独』という言葉が世間一般でネガティブなイメージで使われていることへの疑問(もしくは不満)を書きました」
「世の中には誰かと一緒にいないとどうしようもないほど不安を感じる人がいる一方で、私のように特に他人と関わらなくても心穏やかに過ごせる人がいます(-_-)」
「私が変人という可能性も大いにありますがそれは一旦横に置いて、多くの人が『孤独』を恐れる理由を考えてみようと思います」
『孤独』を恐れる人と『孤独』が平気な人、なぜそのような違いが出てくるのでしょうか?
「その理由としてこの書籍では多くの人が『aloneとlonelyの違い』を間違えているからだと説明しています」
「この二つの単語はどちらも『孤独』を意味するものですが、aloneは『一人である、孤立』といった物理的な状態のみを指すのに対して、lonelyは『寂しい、孤独感』といった感情的な部分を含んだ表現になります」
「多くの人がこの『aloneとlonely』、言い換えれば『孤独と孤独感』を勘違い(混同して認識)しているのだと考えれば、私が今まで感じていた違和感にも説明がつきます」
「孤独な状態が寂しさや不安を感じさせる場面が多い、というのは私も理解できます」
「しかし『孤独な状態=寂しい・不安』というような単純な話ではないとも断言できます」
「私は孤独感を感じる原因はもっと内面的な問題だと考えています」
「『世の中の人がどのような瞬間に寂しさや虚しさを感じるのか?』」
「私はこの書籍を読んでいて、群れ(所属)の中で自分の役割を精一杯果たそうと努力する人ほど孤独感を感じやすいのだと思いました(-_-)」
「端的に言ってしまえば、他人に依存している人です(気を悪くする表現だったらすみません(>_<))」
「そのような人が何かのキッカケで自分の群れ(所属)を失う、あるいは群れ(所属)の中で自分の役割や自己実現を見出せなかった時に、虚しさや孤独感に苛まれるのではないでしょうか?」
ほとんどの人は無意識に自分の群れ(所属)を失うことを恐れています。
誰だって慣れ親しんだ居場所や居心地の良い環境が無くなるのは怖いのだから、それは普通の感覚です。
しかし、そのような『群れへの依存心』が極端に強い人の場合は孤独感を生み出す大きな原因になるのです。
私が『ソロタイム(ひとりぼっちの時間)』で気づけたこと
ここで少し私の過去の経験を語らせてもらいます。
私は子供の頃から内向的な性格で、人付き合いが苦手でした(今も苦手ですが(-_-))
「他人と趣味や考え方が合わない」
「周りの人が好んでしている(ように見える)ことに興味、関心が持てない」
「他人と一緒にいるメリットよりも煩わしさが勝ってしまう」
例を挙げればキリがないですが、誰かといる時は不満でイライラしている時間の方が多かった気がします。
それでも誰かと一緒に遊んだり、繋がりを持つことが良い事だというのが世間の常識だと分かっていたので、なるべく周りに馴染めるように頑張っていました。
その一方で
「これは果たして正しい選択なのだろうか?」
「自分の正直な気持ちを誤魔化すのは善くないことなんじゃないか?」
という悶々とした感情も依然としてありました。
だから出来る限り一人になれる時間を作って読書をしたり、好きなアニメや特撮作品を見て空想に耽ったりしていました。
誰かと一緒に何かをするよりも、そうやって一人で過ごす時間の方がずっと自由で豊かな気持ちになれると気づいて
「あぁ、やっぱりこっちの方が自分には合っているんだな・・・(-_-)」
と納得したのを覚えています。
確かに周りに合わせたり、他人の意見を尊重することは大切です。
それでも人にはそれぞれ自分に合う合わない、向き不向きがあります。
そこを無視していたらどんなに努力を積み重ねたとしても、最後はきっと限界を迎えて崩れ落ちてしまうでしょう。
「『他人を尊重しつつ、自分を一番大切にする』」
「言葉にすればありきたりですが、私はそれを理屈と感情の両方で理解した時にスッと目の前が開けたような、肩の荷が軽くなったような清々しさを感じました」
「寂しさのようなものも少し感じましたが、それは拒絶感・嫌悪感を催すものではなく、不思議と愛でていられるような感覚のものでした」
「今思い返してみても自分は周りから浮いた人間だったと思いますし、今の人間関係も他人と比べると物凄く限定的で狭いものですが、特に後悔はありません」
「ただ『自分はそういう人間なんだな』と思うだけです」
「そして他の人にも『その人なりの生き方がある』のだと思えるようになりました」
「こういうのを自己肯定感と呼べば良いのか私にはわかりませんが、自分の中に芯が一本通ったような感覚に気づけたことは大きな収穫でしたね」
『ソロタイム(ひとりぼっちの時間)』を通して気づけることは人によって違います。
それは『親友のように付き合いやすく馴染み深い一面』かもしれないし、あるいは『目を背けたくなるような醜い一面』かもしれません。
いずれにしても自分が気づかなかった(意識していなかった)部分に気づくということは、それだけで大きな成長と言えるのではないでしょうか。
現時点で『孤独』に対して恐怖を感じている人にこのような事を言ってもピンと来ないかもしれませんが、一人きりになって自分と向き合ってみないとわからないことというのは確かにあるのです。
「好き勝手につらつらと書いてきましたが、私自身は自分が特殊な感性を持っているとはあまり思っていません」
「マイノリティ(少数派)ではあるのでしょうが、誰にでも似たような部分はあると思っています」
「だからこれまで書いてきたことの中に少しでも共感してもらえる部分があったり、心に響く部分があれば嬉しいです」
「私なりに真剣に自分と向き合って得たことなので、もし鼻につくような部分があってもご容赦ください(-_-)」
「人より少し繊細で、理屈をこねくり回すのが好きな変人の戯言として聞き流して頂ければ幸いです」
まとめ:自分で考えて選択する(という意識を持つ)ことの大切さ
自分では普通に生きているだけなのに、息苦しさや不自由さを感じる場面が多いと感じることはありませんか?
それは『無意識に周りや他人の考えに従っている(依存している)から』とは考えられないでしょうか?
思い当たる節がある人はぜひ日々の生活の中に『ソロタイム(ひとりぼっちの時間)』を取り入れてみてください。
ひとりぼっちの時間を使って、人生をより豊かでより自由にできる人が増えることを願っています。
「そして、ひとりぼっちの時間を有意義に過ごせるようになった人はこれまでとは違った物の見方・感じ方ができるようになっていると思います」
「そうなると自分がいる『群れ』の問題点や嫌な部分が目につきやすくなるかもしれません」
「それらを煩わしいとか下らないと感じてしまい、自分から進んで孤独になろうと考えてしまう人もいると思います(私自身もそうでした)」
「しかし、自分の『群れ』に過剰に適応しようとする人が疲弊しやすいなら、自分の『群れ』から過剰に離れようとする人もまた自分で自分を傷つけてしまう恐れがあると私は思っています」
「冒頭でも書きましたが、結局のところ人は群れの中で生き続けるしかないのです」
「他人との関わり方は人それぞれですが、他人との関わりがあるからこそ“自分”というものが形成され、生きていく中で達成したい自己実現というものが出てくるのではないでしょうか?」
「ひとりぼっちで過ごす時間を作るということは『群れ』から離れて生きるためではなく、『群れ』の中で自分自身を見失わず生きるために必要なことなのです」
「『群れ』に依存せず、自分自身の価値観に従って物事を判断・選択できるようになった時、人は人生に自由と豊かさを感じられるようになります」
「自分の人生に自由と豊かさを感じられる人が増えれば、その人達によって良い人間関係の循環が育まれて、自然と世の中は良い方向に進むのではないでしょうか」
「この本を読んでいて、私はそんな幻想を思い浮かべるのでした」
おわり〼
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