どうも、サンモトです。
↓最近、こんな書籍を読みました。
「書籍のタイトルは『体癖』、著者は野口晴哉さんという方です」
「タイトルにもある“体癖”とは著者の野口晴哉さんが長年の研究成果から作られた『人間の分類法』のことです」
「興味深い内容だったので、この書籍をキッカケに“体癖”について色々調べてみました(-_-)」
「今回はこの“体癖”(もしくは『体癖論』)について彼是語ってみようと思います」
「この記事を読んだ人が私と同じように体壁論について興味を持ってくれたら嬉しいです」
体癖論の概要
まずは“体癖”について解説していきます。
体癖は個人の体質や気質(刺激などに反応する行動特性)などの“感受性”の違いから人間をおおまかに分類したもので、野口整体の創始者である野口晴哉さんの研究成果から作られました。
野口晴哉さんは“整体”という言葉を世の中に広めた人であり、『活き活きと生を全うする』という活動指針を掲げ、人が健康に生きるための方法を長年研究・普及し続けた人物です。
数多くの臨床経験の中から『人の身体には癖(感受性)の違いがあり、その癖は類型化できる』ことに気づき、それを体系的にまとめたものが『体癖論』になります。
↓この書籍はタイトルにもある通り、野口晴哉さんの『体癖論』についてまとめられたものです。
「野口晴哉さんが提唱した体癖論では、体運動習性(無意識に身体に出る体重配分・偏り運動)や『エネルギーの鬱散・鬱滞の平衡欲求』などから人間を1~12種の12分類に弁別しています」
「この書籍の内容は整体師や医師のような人体について専門的な知識や施術経験がないと理解し難い部分が多く、この書籍だけで体癖論について学ぶのは難易度が高いと思います」
「私も当初この書籍だけを読んで記事を書こうと思っていたのですが、内容が難解なので『上手くまとめられる気がしない(T_T)』と断念しました」
「そこでもう少し知見を増やそうと思い、精神科医の名越康文さんが提唱した“体壁論をベースにした性格分類”も学んでみました」
「こちらの方が(比較的)とっつき易い(感じがする)ので、ここで解説する体癖論の内容としては主に名越康文さんの『名越式性格分類』を参考に書かせてもらいます」
体癖の10分類
「野口晴哉さんの提唱した体癖論では、人の体癖は1〜12種までの12分類とされます」
「しかしその内の11種と12種というのは定義がややこしく、体癖論を長く実践して経験を積んだ人でも弁別は難しいとされます」
「現在、体癖論を取り扱っている人の多くもこの11種と12種についてはあまり詳しく言及していないので、基本的には1〜10種までの10分類が人の体癖だと考えて良いと思います」
↓『体癖・10種分類表』の図
「書籍『名越式性格分類ゼミ公式テキスト』の内容を参考にして私が作成した図になります(-_-)」
「10種類の体癖は大きく分けて『上下(頭脳)・左右(消化器)・前後(呼吸器)・ねじれ(泌尿器)・開閉(生殖器)』の5分類と、奇数(陽)・偶数(陰)の裏表セットで表せます」
「この図を使ってそれぞれの分類を簡単に解説していきます」
奇数(陽)と偶数(陰)
まずは奇数(陽)・偶数(陰)の分け方について。
10分類の中で1・3・5・7・9種が奇数系になり、2・4・6・8・10種が偶数系になります。
奇数系と偶数系の違いは、エネルギーの鬱散・鬱滞の傾向です。
奇数系は鬱散タイプ、偶数系は鬱滞タイプになります。
「鬱散・鬱滞とは体の中にあるエネルギーの平衡を保つための働きのことを指します」
「ある程度身体にエネルギーが鬱滞すれば自然に鬱散の要求が生じ、溜まっていたエネルギーを鬱散すれば再び鬱滞の要求が起こる」
「このように生きている間はいつもエネルギーの集散の平衡を保つように人間は動くとされます」
「人それぞれ鬱散・鬱滞には習性があり、どちらが優勢に働くかには偏りがあります」
「奇数系か偶数系かというのは、エネルギーを鬱散しやすいタイプなのか鬱滞させやすいタイプなのかを大まかに分類したものと思ってください」
1・3・5・7・9種の奇数系はエネルギーを凝縮させやすく、また、それを一気に鬱散させることができます。
2・4・6・8・10の偶数系はエネルギーを凝縮したり鬱散したりするのが苦手で、自分の中で溜め込んでしまいやすい傾向があります。
各体癖ごとに感受性(感覚世界)は違うので細かい点では似ていない場合も多いですが、奇数系・偶数系の大きな括りで見れば共通点がいくつかあります。
「奇数体癖は関連する臓器の働きが強く、体内の水分を排出するのが得意なので張りのある肌をしています」
「奇数系は積極的にエネルギーを鬱散しようとするため、意思の固まる速度が早いとされます」
「偶数系は関連する臓器の働きが弱く、体内の水分を排出しにくいため色白でヌルッとした透明感のある肌をしています」
「偶数系は周りからの影響を受けやすくエネルギーを鬱滞させやすいため、奇数系に比べると意思の固まる速度は遅くなります」
相手の体癖をピンポイントで絞り込むのは難しいので、まずは観察する相手が奇数系か偶数系かの目星をつけられるようになると体癖診断の取っ掛かりになると思います。
5分類
次に5分類について。
『上下・左右・前後・ねじれ・開閉』というのは身体の様相のことを指していて、()内はその体癖と関連の深い臓器になります。
「上下型は身体が縦方向に伸びていて、頭(脳)の働きに特徴が表れる頭脳タイプ。頭(脳)でエネルギーを鬱散・鬱滞し、『平等』や『公平』を重視する地味な雰囲気の人」
「左右型は重心が右か左に偏りやすく、消化器(胃)の働きに特徴が表れる感情タイプ。消化器(胃)でエネルギーを鬱散・鬱滞させ、『食べる』ことや『気分』に強く影響が出る人」
「前後型は足の爪先or踵側に重心が偏りやすく、呼吸器の働きに特徴が表れる行動タイプ。呼吸器の強弱は活動性に影響を与え、『損得』や『合理性』を重視する傾向があります」
「ねじれ型は上半身or下半身が捩れやすく、泌尿器の働きに特徴が表れる闘争タイプ。泌尿器の強弱は『我慢強さ』や『鈍さ』に影響を与え、他人と張り合い『勝ち負け』を重視する傾向があります」
「開閉型は骨盤が開くor締まっていて、生殖器の働きに特徴が表れる集注タイプ。気になる対象へエネルギーを集注(誤字ではありません)させる傾向があり、動物的(本能的)な部分が強く出る人」
「ざっくりとですが、こんな感じで分類することが出来ます(-_-)」
同じ5分類の体癖でも奇数系(陽)と偶数系(陰)では様相が変わってくるし、自分とは違う感受性(感覚世界)を理解することは難しいです。
ここに書いたことはあくまで基本的な考え方・目安に過ぎないので、体癖の理解を深める入り口として覚えておくのが良いと思います。
参考文献
今回の記事を書くにあたり、私が参考にさせてもらったものを載せておきます。
同じように“体癖”に興味を持った方はぜひ参考にしてみてください。
「“体癖論”は実践的な学問になります」
「膨大な研究データから導き出された統計的な理論というよりは、現場に即した使い方・考え方をする臨床的な経験が重要になるからです」
「昨今は科学的(論理的)であることが重要視されがちなので、こういった主観的な面が強い手法・思考法は軽視されてしまうのかもしれませんが、だからこそ今の時代にそこから学ぶべきことがあるのではないかなと私は考えます」
「結局は使い方次第なので、自分にとって有益であるならそれで良いんじゃないかなと思いますしね(-_-)」
「“体癖論”に興味を持って学ぶ機会があれば知識としてだけではなく、日常生活の中で実践してみて自分なりの解釈や捉え方を探ってみてください」
※こちらのHP『自分の性格が驚くほどわかる 体癖診断 – Yakan-hiko – 夜間飛行』で体癖の簡易診断(無料)が出来ます。
↓以下の参考文献(書籍)にも体癖に関する記述があります。
私が“体癖”を知ったキッカケ
ここからは私の個人的なエピソードを書いていこうと思います。
私が“体癖”という存在を知ったキッカケは、精神科医の名越康文さんでした。
↓名越康文さんについては、以前に別の記事で簡単に紹介させてもらいました。
名越康文さんは色々なメディアに顔出ししているのでたまたま目にする機会があり、経歴や言動を知って
「面白い人だなぁ(-_-)」
という漠然とした印象を持っていました。
それから名越康文さんが出ている動画を見たり、書籍を読んだりするようになったのです。
そんな名越康文さんが折に触れて“体癖”(もしくは『体癖論』)という言葉を使っているので
「“体癖”とはなんぞや?」
と興味を持ったのです。
そこで色々調べてみたところ、“体癖”という概念を生み出した野口晴哉という人物についてのことだったり、その体癖論をベースに名越康文さんが考案した『名越式性格分類』の存在を知りました。
元々私は
「他人のことを理解するにはどうすればいいか?」
「自分はどういった人間なのだろうか?」
といった疑問を長く抱えて生きてきたタイプなので、機会があれば“体癖”について学んでみようかなと考えるようになりました。
↓そこでまずは体癖論の源流である野口晴哉さんの書籍を読んでみることにしたのです。
「この書籍は見た目やページ数は普通の文庫本ぐらいで、Amazonや楽天市場で簡単に購入できます」
「一通り読むだけならそれほど時間はかかりませんが、感覚的な表現や言い回しなどの難解な部分が多いので、整体の知識や経験がない人だと内容を理解するのには時間がかかると思います」
「この書籍を一通り読んでみて体癖論の概要は何となくわかったのですが、この書籍だけだと自分の理解が追いつかないなぁと感じました(-_-)」
この書籍を読み終わってから
「体癖について調べるには今が丁度良い時期なのかもしれない」
と思い立ち、名越康文さんの『名越式性格分類』のテキストも購入して読んでみました。
↓こちらのテキストだと巻数は多いですが、各体癖ごとに分けて解説されているので読みやすいです。
なので、この記事では野口晴哉さんの書籍『体癖』と名越康文さんの『名越式性格分類』のテキストの内容を参考にしています。
↓こちらのテキストは以下のHPから電子書籍として購入できます。
私の体癖⇒おそらく上下型の側面が強い
そんなこんなで“体癖”に興味を持った私は、各体癖について調べつつ自分自身の体癖を観察してみることにしました。
色々と調べて自分を観察してみた結果としては、『私はおそらく上下型の側面が強いのではないか?』という結論になりました。
この項目では上下型(頭脳型)についての深掘りと、私が自分自身を上下型と考察した理由を書いて行こうと思います。
上下型(頭脳型)とは
まずは上下型の体癖について解説していきます。
上下型という言葉は文字通り身体が上下に伸びている様相を表していて、見た目でいうと長身で面長な人が多いようです。
このタイプの人は頭や脳・神経などの身体的な部分の特徴が性格の特性にも表れるため、頭脳型とも呼ばれます。
上下型の人物像としては学者や教師のような、地味で落ち着いた雰囲気の知的な人がイメージしやすいと思います。
「上下型は頭の中で過敏反応が起こりやすく、思考することでエネルギーを昇華(大脳昇華)しようとする傾向があります」
「何事もまず考えてから行動に入るため、“速度感”は10種類の体癖の中で上下型(1種・2種)が1番遅くなります」
「この“速度感”というのは“感受性の速度”のことで、『その人が一番快適に感じる速度』みたいなものです」
「上下型は現実から距離をとり、感情的にならないよう物事を客観的に見ようとします」
「その背景には『常に理知(脳)のパフォーマンスを最大化したい』という欲求があるため、冷静さを失わせるような肉体的な働きに対して嫌悪感や警戒心を持っています」
「理屈を考えたり語ったりするのは得意ですが、それを実際に行動に移すとなると上手くいかない、所謂“頭でっかち”とも言えますね(-_-)」
上下型には1種と2種の区別があり、それぞれ頭の使い方や体型的な特徴に差異があります。
1種体癖の特徴
1種体癖は上下型の奇数になるので鬱散型です。
1種の人は頭の中でエネルギーを凝縮させやすく、内側から外側に向けて一気に鬱散させることもできます。
「1種体癖の身体的特徴は『上実下虚』という言葉で表され、これは上半身がガッチリしていて下半身がゆるいという意味です」
「首が太く脳に送られる血液が充実しているので、観念的(現実から離れて頭の中で考えること)になります」
「1種の人は緊張すると首と頭の付け根の辺りが凝りやすくなります」
「他の体癖の人は意識してやろうとしても上手く出来ませんが、1種の人は下半身(膝や股関節)の力が自然と抜けてふにゃっとした状態になります」
「なので一般的にスポーツの類は得意ではありませんが、『頭(脳)をよく使い、よく寝て、よく食べる』ため肉体的に弱いというわけではありません」
「事故などの外的要因や余計な心配事などを抱え込まなければ、楽に長生きする人が多いそうです」
「1種は一人で『ああしよう、こうしよう』と考えて積極的にエネルギーを分散させようとします」
「頭の中でエネルギーを鬱散できればそれで満足するので、実際の行動にはあまり反映されません」
「客観的に物事を考え感情から距離を取りたがるのは上下型に共通する特徴ですが、1種は観念や理念を信奉し強固な価値観を持とうとします」
「そのため1種は一般的に幼い子どもと一緒にいるのが少し苦手です(-_-)」
「それは子どもが理性よりも本能で動く生き物なので、自分の子どもでも一定の距離をとって接しようとします」
「決して愛情がないとか冷たいわけではなく、誰でも同じように扱おうとするのです」
「自分の存在感を薄く小さくしていくことを本能的に望んでいるため、社会的な場面だと『平等』や『公平』ということを何よりも大切にするようになります」
2種体癖の特徴
2種体癖は上下型の偶数になるので鬱滞型です。
2種の人は頭の中でエネルギーを凝縮したり鬱散させるのが苦手で、自分の中に溜め込みやすい傾向があります。
「2種体癖の身体的特徴は1種と正反対で『上虚下実』、つまり上半身に力がなく下半身が充実しています」
「首が細く脳へ送られる血液が少ないので貧血気味になり、空想的でイメージが豊富になります」
「頭に血液が鬱滞するので、頭皮が柔らかくゆるんでいます」
「首が細いため声は小さく、囁くように喋ります」
「緊張すると首の側面(胸鎖乳突筋)が凝りやすく、胃袋や心臓(脈拍)に異常が現れやすいとされます」
「一人で積極的に考えて動く1種とは対照的に、受け身で周りからの刺激に応じて動くのが2種の特徴です」
「いつも頭が過敏な状態なので悩むと眠れなくなるし、逆にテンションが上がれば徹夜もできるぐらい没頭します」
「2種は1種と違い確固たる理念を持つことを嫌います」
「何かを考える時に特定の理念に依拠せずに思考するのが2種のスタイルで、物事の優先順位がつけられなくなる側面があります」
「これは物事を客観的に見ようとするためですが、『判断のための価値基準』すらも疑ってしまうので判断力を喪失してしまい、あらゆることが正しいと思ってしまうのです(-_-)」
「言葉にすると難儀な特性のように感じてしまいますが、その客観性のおかげで全体癖の中で2種だけが本当の意味で『他人の話を正確に聞き取ることができる』のです」
自分が上下型(頭脳型)だと思う根拠
上記のことを踏まえて、おそらく私自身は1種の側面が強いのではないかと判断しました。
↓改めて上下1種の特徴を羅列してみます。
「身体的な部分で言うと、私は身長は低いですが骨太で厚みのある体型です」
「食事に対してあまりこだわりはありませんが量はそこそこ食べますし、しっかり寝ないと調子が悪くなります(-_-)」
「スポーツや競技、特に球技の類が昔から苦手ですが、身体は丈夫なので今まで大きな怪我や病気をしたことはありません」
「自分が普段履いている靴(普段使い用・仕事用)の内側を何気なく見て気づいたのですが、爪先の辺りがよく擦り減っています」
「これは体重が足の前側(爪先)にかかっているからで、体運動習性としては大脳昇華になるため上下型の特徴とも合致します」
「首の付け根がよく凝るし、仕事の休憩時間に本を読む時はソファの上で胡座をかいています」
「首が凝るのは姿勢の問題かもしれませんが、リラックスしたい時は下半身を少し上げたり身体を上に伸ばす癖があるようなので、これも上下型の特徴ですね」
「内面的な部分で言えば、頭の中で色々考えて満足するというのはとてもよくあてはまります」
「感情から距離を取っているというのは言い得て妙で、昔から感情的な行動を取る人は苦手だし自分が感情的になったりするのも好みません」
「感情豊かな人(体癖でいうなら3種的な人)を遠くから眺めるのは面白いのですが、直接関わるのは遠慮したいですね(-_-)」
「一人でも平気で、気ままに行動できる部分は奇数系だなと思います」
「1種体癖について調べていた時に妙にしっくりきたのは『幼いこどもと一緒にいるのが少し苦手』という部分です」
「別に子供が嫌いだとか憎らしいということではないのですが、どうしても“よくわからない生き物”のように見えるので昔から苦手意識がありました(T_T)」
以上、自分が上下1種だと思う根拠を彼是と書き出してみました。
色々とそれっぽい理由を書いておいて何ですが、
「この特徴があるからこの体癖だろうな」
「自分はこの体癖っぽいからこういう側面があるかもしれない」
といったような、先入観に囚われ過ぎるのはあまり良くないなと思います(-_-)
客観的に判断した場合の私はあくまで上下1種的な傾向が強いというだけで、時と場合によって上下型以外の体癖の部分が表に出てくることもあるはずです。
安易な決めつけや断定は誤解の元なので、そこは肝に銘じておかなければいけませんね。
「体癖論は人を簡単に類型化するためのものではなく、人が持つ“独特の個性”を見極めて、各人がより良く生きるために必要なことを理解するためのものです」
「『ある程度の基準を設けることで自分と他人が分かり合える部分と分かり合えない部分の境界線を見つける』」
「そこから先に進んで自分の先入観に気づき、そこから自由になるための糸口を探すことが大切なのです」
「『他人をコントロールしよう』とか『相手のことを見抜いてやろう』というような目的で学ぶべきものではないと思いますし、そのような使い方をするのは些か無味乾燥でしょう」
「まぁ、こんな偉そうなことを言っている私は頭でっかちな所があるので、体癖論を日常で上手く使うことは難しいだろうなぁと思いますが(-_-)」
まとめ:ヒトのことはわかりそうで、やっぱりわからないから面白い
体癖について自分が考えた事や感じた事を色々と書いてみましたが、この手の類のことを学んだ後はいつも
「ヒトというものはやっぱりよくわからないなぁ・・・(-_-)」
という結論になります。
何かわかったような気もするのですが、時間が経つにつれて
「本当にそうだろうか?」
と頭を捻り、そしてまた別の観点から観察をしてみるということを繰り返すのです。
なぜ自分はそんなことをわざわざやっているのかを改めて考えてみると、私にとって『他人を理解する』という目的自体はそれほど重要なものではないのだと思います。
実際に理解できるかどうかはさておき、自分の頭(脳)に適度な刺激や負荷をかけるのが面白いからやっている感じです。
上下1種的に言えば、自分の中に“強固な価値観”を持ちたいのかもしれませんね。
「私は割と若い時分に『他人を完璧に理解することなどできないのだ』と悟った瞬間がありました(-_-)」
「その結論は今でも変わっていませんし、それで特に困るようなことも今のところありません」
「今こうやって人間について調べたり学んだりしているのは個人的な興味・関心を満たしつつ、実生活上の利益を得るためです」
「『自分にとって心地よい生き方を探しつつ、頭(脳)を遊ばせている』といった感じでしょうか」
「我ながら変人というか、周りから理解されにくい生き方をしているとは思いますが、そんな自分のことは嫌いではありません」
「結局のところ『それなりに頭を悩ませて、それっぽい“何か”を見つける過程』を楽しめれば私はそれで十分なのだと思います」
「こういった部分が『観念に生きている上下型』の側面なのかもしれませんね」
今回“体癖論”を学んでみて、自分の思考の幅を広げる良いキッカケになりました。
とりあえず私は『“頭でっかち”になり過ぎないように気をつけよう(-_-)』と思います。
「体癖論に限った話ではありませんが、人を型に当てはめて観察するというのは良い面もあれば悪い面もあります」
「他人を理解するための手助けになる場合もありますが、同時に視野を狭めてしまう危険もあるからです」
「『あの人はおそらく〇〇型だから、こう対応すれば良いだろう』」
「『自分は〇〇型だから、こういったことが得意でこれが苦手だろう』」
「こういった先入観はかえって物事を正しく判断できなくする恐れがあります」
「日々の生活の中で自分なりに体癖論を活用してみて、より良く生きるためのヒントを探すくらいが丁度良いと思います」
もしこの記事を読んでくれた人の中で私と同じように体癖論に興味を持って学ぶ機会があれば、その時に得られた『新しい気づき』をよく観察してみてほしいと思います。
人はそれぞれ異なる感受性を持っているので、同じように学び実践したとしてもそこから得られるものは違ってくるはずです。
そこから人生をより良くするための“何か”を皆さんが見つけられることを願いつつ、この記事を〆させていただきます。
私の拙文に最後までお付き合い頂きありがとうございました。
おわり〼
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