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【所感】財形貯蓄の神様に学ぶ“資産形成のいろは”【私の財産告白】

最近読んだ本
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どうも、サンモトです。

↓最近こんな本を読みました。

「書籍のタイトルは『私の財産告白』、著者は本多静六ほんだせいろくという方です」

「本多静六氏は日本の『公園の父』と呼ばれる林学者・造園家であり、『蓄財の神様』とも呼ばれる程の投資家・資産家でもあります」

「この書籍は本多静六氏が84歳の頃に執筆したもので、自身の実体験を元に『お金についての真実』を語った内容となっています」

「今回はこの書籍から資産形成の具体的な手段や考え方を学びつつ、私個人の所感を彼是あれこれと書いていこうと思います(-_-)」

『本多式四分の一貯金法』とは

この書籍の中で『本多式四分の一貯金法』という蓄財法が出てきます。

『本多式四分の一貯金法』の概要
  1. 通常収入の四分の一を天引きして貯金する
  2. 臨時収入の全てを貯金して通常収入の増加に繰り込む

↓これを計算式で表すとこうなります。

  • 年間貯蓄額=(通常収入×25%)+(臨時収入×100)

給料などの月々決まっている通常収入は4分の1をなかったものとして強制天引きして貯金、残りの4分の3で日々の生活費をやりくりしつつ、ボーナス(賞与)などの臨時収入はその全てを貯金に回す。

次年度に入ってくる貯金の利子や株式の配当などは通常収入とみなして、4分の1を貯金として残しておく。

これを雨の日も風の日も、断固とした意志で続けるのが『本多式四分の一貯金法』です。

「言葉にすればこれだけですが、実際に行うとなると生半可な覚悟では続けられない習慣です」

「サラリーマンで例えるなら毎月の給料25%(手取り20万円なら5万円程度)とボーナス2回分を一切手をつけることなく貯金することになります」

この方法を生涯続けた本多静六氏は

貯金の問題は、要するに、方法の如何ではなく、実行の如何である。

本多静六「私の財産告白」より

このように述べています。

「本多静六氏は『貯金をするのに必要なのは“どうやるか”ではなく、実際に“やるかどうか”だ』と言っています」

「これは手厳しい指摘してきですが、確かにそうだと思います(-_-)」

「多くの人はあれこれ考えることはあっても、実際にそれを行動に移すまでには至りません」

「苦しいのも辛いのも承知の上で、必要だからやるだけという潔い考え方です(かなりスパルタだとは思いますが)」

本多静六氏は25歳の時に東京農科大学(現在の東京大学)で助教授として就任してからこの貯金法を実践し始めました。

そして15年目の40歳になる頃には、大学の給料よりも貯金の利子や株式配当のほうが多いという状態になりました(現代で言うところの経済的自由を達成したのです)

金というものは雪達磨のようなもので、初めはホンの小さな玉でも、その中心になる玉ができると、あとは面白いように大きくなってくる。少なくとも、四分の一天引き貯金で始めた私の場合はそうであった。これはおそらくだれがやっても同じことであろう。

本多静六「私の財産告白」より

本多静六氏のこの言葉を信じて、現在私もこの方法を真似て貯蓄に励んでいます。

私の場合は『生活防衛資金』『月々の生活費』を確保したら、後は全て投資に資金を回すようにしています。

私が行っている投資については別の項目で触れるとして、ここでは私の『生活防衛資金』『月々の生活費』についての考えを言及しようと思います。

『生活防衛資金』とは収入が途絶えてもしばらくは現在の生活を維持できるようにするための資金のことです」

『生活防衛資金』に必要な金額は人によって違いますが、目安としては半年〜1年分の生活費になります(仮に失職した場合は半年~1年の間に新しい収入源を作るという考え方です)

保険で失業に備えるという手もありますが、蓄財を第一に考えると保険を利用するのは効率的ではありません(保険はあくまで万が一の事態に備えるもので、損得で考えるものではないからです)」

「なので私は『生活防衛資金』を確保した時点で不要と判断した一般の保険は全て解約しました(現在加入しているのは健康保険のみです)」

「もちろん個人の事情によって取れるリスクは変わってくるので、『保険+貯金』でもしもの時に備えるという考え方でも良いと思います」

「大事なのは自分がどのような生活を送りたいかを考えて、それにはどのようなリスクがあるかをリストアップして、そのリスクにどう対処するかを慎重に見極めることです」

「次に『月々の生活費』についてですが、これはまず『固定費』『変動費』を把握することが重要になります」

『固定費』は水道光熱費や通信費などの日常的に使用するもので金額の変化が少ないもの、『変動費』遊興費ゆうきょうひなどの突発的な出費で金額の変化が大きいもの(または不定期なもの)をそれぞれ分類します(保険料などの年払いのものも忘れずに計上します)」

「そうやってリストアップした固定費と変動費を全て足せば自分の1年間の支出がわかりますが、貯蓄を効率的に行うためにはそれらの支出を最適化する(見直す)必要があります」

「支出の見直しをするにあたって、多くの人が趣味や娯楽などの遊興費ゆうきょうひ(変動費)を削ろうと考えるかもしれませんが、私は固定費から先に見直すことをオススメします」

「というのも遊興費ゆうきょうひのような変動費は支出の額や時期が予測しにくく、充足感や満足感などの『生活の質』にも影響するからです」

「定期的に見直す必要はあるかもしれませんが、無理をしてそこを削っても結局は長続きせずに失敗する可能性が高いので、あまり頻繁に手を加える必要はないと私は考えます」

「それならば家の水道光熱費や携帯電話の通信費などの固定費の方が把握しやすく、一度しっかり見直せばしばらくは手を加えなくても良いので、こちらから見直すことをオススメします」

「上手くすれば『生活の質』を落とさずに支出だけを減らすことも出来ます」

貯蓄の習慣を身に付けるためには『お金の流れを把握すること』『無理なく継続すること』が重要だと私は考えます。

「自分にとって最適な『生活防衛資金』『月々の生活費』が分かれば、後はそれ以外の部分からいくらぐらい貯蓄に回せるかが考えやすくなります」

「そんな風に考えられるようになれば、お金がどれくらいあれば問題なく生活できるのかという基準もわかるので、お金に対する不安も減っていきます」

「ここまでくると『お金を使いたいことに使って、余ったら貯蓄に回そう』などと消極的に考えていてはいつまでもお金が貯まることはないと気づけるようになります(これは私自身の実感からもそう思います)」

「自分がやりやすい方法を考えて貯蓄に取り組みましょう」

「それが出来ない、無理だと言う人はそもそもの計画設定が甘いか意志が弱い(真剣度が低い)のだと本多静六氏なら言いそうです(-_-)」

生活の基本は『勤倹貯蓄』

本多静六氏は勤倹貯蓄きんけんちょちくの精神を生活の基盤にすることを全ての人に勧めています。

勤倹貯蓄きんけんちょちくとは

  • 倹約けんやく(無駄を省き出費を出来るだけ少なくすること)
  • 貯蓄ちょちく(金銭などの財貨を蓄えること)

を表す言葉です。

本多静六氏は少年時代から学生時代まで貧乏生活が続き、大学教授として働き始めてからは家族を9人養わなければならなくなりました。

そこで『貧乏に耐えて生活をつめるのでは全く歯が立たない。こちらから積極的に貧乏を圧倒せねばならない』と決意するに至り、前述の『本多式四分の一貯金法』を考案し、25歳から勤倹貯蓄きんけんちょちくに励みました。

本多静六氏は勤倹貯蓄きんけんちょちくの生活を送る上で、気をつけるべき点として以下のことを挙げています。

『勤倹貯蓄』生活で気をつけるべきポイント
  • 虚栄心きょえいしん
  • 吝嗇りんしょく倹約けんやくの違い

「本多静六氏は勤倹貯蓄きんけんちょちくで一番のさわりになるのは虚栄心きょえいしん(見栄を張ること)だと言います」

『多くの人が分不相応ぶんふそうおうな暮らしに憧れ、見せかけだけでも豪華にしたいと考えるから上手くいかないのであって、そういった見栄さえ無くせば四分の一天引き生活くらいは誰にでもできる』と言います」

「また、多くの人が吝嗇りんしょく倹約けんやくを同じものだと勘違いしている点も指摘しています」

「本多静六氏は『吝嗇とは当然出すべきものを出さず、義理人情を欠いてまでも欲張ること。倹約は出すべきものをチャンと出し、義理人情も立派に尽くすが、ただ自分に対してだけは足るを知り、分に安んじ、一切の無駄を排して自己を抑制する生活を指すこと』だと言います」

「しかし世間ではどちらも同じようなものとして見られ、『ケチくさい、シミったれている』などとののしられたり馬鹿にされたりするため、たいていの人は辛抱が続かずに途中で諦めてしまうのです」

一日も速やかに経済生活の独立を確保しようとする者は、つまらない世間の思惑などに心を惑わしていてはいけない。ケチン坊などというそしりに耳をかたむけていてはいけない。出すべきものを出し、するだけのことをしておいての上であれば、だれはばかることはない。まず、その初志の貫徹に向かって邁進すべきである。

本多静六「私の財産告白」より

本多静六氏がそうであったように、勤倹貯蓄を断行するには大いなる勇気と決心が必要不可欠である、ということは意識しておくべきでしょう。

また、勤倹貯蓄の精神は単に資産形成だけを目的にしたものではありません。

本多静六氏は自身の経験からこのようなことを言っています。

子供のとき、若い頃に贅沢に育った人は必ず貧乏する。その反対に、早く貧乏を体験した人は必ずあとがよくなる。つまり人間は一生のうちに、早かれ、おそかれ、一度は貧乏生活を通り越さねばならぬのである。だから、どうせ一度は通る貧乏なら、できるだけ一日でも早くこれを通り越すようにしたい。

本多静六「私の財産告白」より

まことに若いときの苦労は買ってもやれといわれているが、貧乏に苦労し、貧乏し抜いてこそ、人生の意義や事物の価値認識をいっそうふかめることができるのである。貧乏したことのある人間でなければ、本当の人生の値打ちはわからないし、また堅実に、生活の向上をめざしていく努力と幸福は生じてこないのである。

本多静六「私の財産告白」より

「勤倹貯蓄とは単に耐え忍びながら資産を作る方法ではなく、自分自身の努力や成功によって人生の豊かさと幸福を実感するための人生訓でもあるのです」

「これから勤倹貯蓄に臨もうとする人は、ぜひこのことを肝に銘じておくと良いと思います」

何事も「時節を待つ」ことが鉄則

本多静六氏は勤倹貯蓄の生活で作った貯金をただ持っているだけではなく、資産の拡大のために将来的に有望な投資先を見つけて積極的に利殖りしょくすることを勧めています。

何事にも成功を期するには、ぜひこれだけは心得おくべしといった、大切な処世信条の一つを披瀝しておく。それは、何事にも「時節を待つ」ということだ。焦らず、怠らず、時の来るを待つということだ。投資成功にはとくにこのことが必要である。

本多静六「私の財産告白」より

投資の第一条件は安全確実である。しかしながら、絶対安全をのみ期していては、いかなる投資にも、手も足も出ない。だから、絶対安全から比較的安全、というところまで歩み寄らねばならぬ。

本多静六「私の財産告白」より

投資戦に必ず勝利を収めようと思う人は、何時も、静かに景気の循環を洞察して、好景気時代には勤倹貯蓄を、不景気時代には思い切った投資を、時機を逸せず巧みに繰り返すよう私はおすすめする。

本多静六「私の財産告白」より

これが本多静六氏の投資に対する姿勢です。

「具体的な投資方法というよりはマインド寄りの助言が多い印象です」

「投資というものの本質的な部分を言っており、『適正なリスクを取れ』『トレンド(流行)を見つけて乗っかれ』『焦らずに時間をかけて資産を増やせ』などの、基本的ですが重要な考え方が学べます」

「本多静六氏は主に株式と土地山林に投資して資産を増やしましたが、この二つを投資先に選んだのは『所有管理がしやすいこと』『自分の専門とする分野である』という理由でした」

自分がわからないことや管理できないことは手を出さず、自分の得意・注力できることに投資したということです」

「何が有望な投資先になるかは人によって変わってくるので各々適切な投資方法を考える必要はありますが、平凡人が投資で成功しようと思うならこのような本質的なことを理解して実行できるかが重要ということなのだと思います」

余談ですが、私も資産形成のために投資を実践しています。

「私の場合は主に株式に投資をしていますが、今はデジタル化が進んで昔よりも管理・把握がしやすくなっています」

「ネット環境が整っていれば誰でも比較的簡単に投資を始められて、税制面で優遇されるサービス(NISA、iDeCoなど)を利用すれば効率良く資産形成に取り組めます」

『簡単に始められて取り組みやすい』というと誤解されそうなので一応釘を刺しておきますが、それは安全だとか失敗しないということではありません

「当然リスクもあれば、思わぬ落とし穴にはまる可能性もあります」

「自分で色々な準備や勉強をしなければ良い結果には繋がらない、というのは多くの投資未経験の人に知っておいてもらいたいことです(-_-)」

「なので、実際に投資を始めようと考える人はやり過ぎなくらい入念に下調べしてください」

「今はネットを使えば大抵のことはすぐに分かる便利な時代です」

「手に入れた情報を精査して、自分に合った投資方法を探してみてください」

「それが良い投資家になるための大切な第一歩です」

『職業の道楽化』と『アルバイト』

勤労生活者が金を作るには、単なる消費面の節約といった、消極策ばかりでは十分でない。本職に差し支えない限り、否本職のたしになり、勉強になる事柄を選んで、本職以外 のアルバイトにつとめることである。

本多静六「私の財産告白」より

人生の最大幸福は職業の道楽化にある。富も、名誉も、美衣美食も、職業道楽の愉快さには比すべくもない。

本多静六「私の財産告白」より

なんでもよろしい、仕事を一所懸命にやる。なんでもよろしい、職業を道楽化するまでに 打ち込む、これが平凡 人の自己を大成する唯一の途である。世の中には天才だけにしかできぬという仕事はあまりない。少なくとも、職業と名のつく職業であれば、すべては平凡 人の努力によって、完全にこれを道楽化する処までいけるものだ。

本多静六「私の財産告白」より

「このように本多静六氏は『職業の道楽化』『アルバイト』をすることを勧めています」

「本多静六氏は本業の大学教授としての仕事の他に、『1日1ページの文章執筆』を“ぎょう”としてこなしました」

著述原稿ちょじゅつげんこうとして印刷価値のあるものを毎日書き続け、やがてそこから原稿料や講演料などの収入を得られるようになり、生涯に370冊の著書を生み出すに至りました」

そんな本多静六氏が勧める『職業の道楽化』『アルバイト』について考えてみようと思います。

本多静六氏が言う『職業の道楽化』とは、

  • 自らの仕事に一意専心いちいせんしんして努力すること
  • 仕事に面白味おもしろみを感じるぐらい打ち込み続けること

だと言います。

「よく世間では『好きな事を仕事にする(もしくはするな)』などと言いますが、ここで言う職業の道楽化とは『自分の仕事を好きになるor楽しくなるまで努力しろ』というかなりの根性論です(-_-)」

「その道楽化の過程で知らず知らずのうちに地位、名誉、金、生活において恵まれた結果が付いてくるのだと言います」

「賛否両論が出そうな意見ですが、『物は考えよう』という言葉もありますし、柔軟な思考を持つことは大事だと思います」

「もちろん心身を壊すようなブラックな働き方をするのではなく、自分がやりがい・成長を感じられるような方法を考える必要があります」

「人は意味を感じない単調な作業を長く続けることは出来ないと言われますが、それはあくまで他人に強制されている(と感じる)場合の話です」

「自分なりに意味や動機付けをすることによって、道楽化までは行かなくても、ある程度生きやすくなるのは確かだと思います」

『アルバイト』本職に差し支えず、本職の足しになるようなことをするように本多静六氏は言います。

「これは現代で言うと副業(複業)にあたるのかなと思います」

『本業でも手一杯なのに、副業(複業)なんて出来ない』と思う人もいるでしょうが、仕事の効率を上げたり隙間時間を活用することで、時間を確保することは可能です」

『少なくともそうする努力は誰にでも出来るはずだ』と本多静六氏なら言いそうですね(-_-)」

「アルバイトや副業(複業)と言うと時給何円で働くようなイメージがありますが、これは別に収入に繋がるようなことでなくても良いのではないかな、と私は思っています」

「もちろん、お金に変えられたり新しい収入源になるようなものであるならそれに越したことはありませんが、自分の成長や本業の助けになること(資格を取ったり、経験を積む)、趣味・特技のような自分の個性を活かせるものなど何でも良いと思います」

「大事なのはそれをすることによって感じられる充実感・達成感、自分にとってそれをする意味や価値を自覚できるかだと私は考えています」

やりたいことがない、仕事に意義を見出せない、このように感じている人は本多静六氏にならって、『職業の道楽化』『アルバイト』に挑戦してみると良いかもしれません。

「そう考えると、このブログ活動も私にとっては『道楽化』『アルバイト』の一環になるのでしょうか」

「自己紹介の記事でも少し書きましたが、私がブログを始めたキッカケは副業としての側面が強かったです」

『(新しい収入源になれば良いな)』という軽い気持ちで挑戦し始めたのですが、2年程経った今現在、全然稼げていません(-_-)」

「これは単純な作業量や費やしている時間の問題ではありますが、私のブログに対するモチベーションの方向性がお金を稼ぐという方向に直結していないというのも大きいと思います」

「私は自分が興味・関心があることを自分なりに検証して、試行錯誤しながら一人で考え込んで結論を出すという作業が好きなので、そういった意味では自分の考えを文章に書き起こすブログは相性が良いと思いました」

「しかし、それは自分の探求心を満たすことが重要なのであって、お金を稼ぐために興味の湧かないことを調べたり、他人と関わることは本位ではありません」

「ブログを始めた頃はその辺りの部分で悩んだりしましたが、今は割り切って自分がやりたいようにやっています」

「お金を稼ぐことは無理でも、自分自身の学び・成長に繋がるならそれで良いやと思っているので、今のところ挫折することなく続けられています(もちろんお金が稼げるならもっと嬉しいですけどね)」

まとめ:資産形成を通じて『人生の豊かさ』と『幸福』を手に入れる

本多静六氏は、自らの生涯を“人生即努力・努力即幸福”という人生観で貫き通した人物です。

書籍『私の財産告白』で語られている内容も正にその通りで、謹厳実直きんげんじっちょくで当たり前のことばかりです。

「当たり前のことと言いましたが、その当たり前のことをきちんと出来るかと問われたら(私も含めて)答えにきゅうする人は意外と多いのではないでしょうか」

「私もその一人ではありますが、凡人にとっては当たり前と言われるようなことでさえ実際に行うにはそれなりの努力と覚悟が要ります(-_-)」

本多静六氏は自らを凡人と認識した上で『凡人が天才に負けずとも劣らない成功を収めるには努力するしかなく、その努力する行為自体を楽しむことが人生の幸福に繋がる』と信じて行動し続けました。

その結果として当人の予想を上回る巨富きょふを築きあげましたが、後年になり『人並外れた大きな財産は、身のため子孫のため有害無益である』と判断して、自分が生きている間に築いた財産のほとんどを教育・公共事業のために寄付してしまいます。

自分には必要最小限の老後資産だけ残して、60歳で大学教授の仕事を定年退職した後は初心に戻って働学併進どうがくへいしんの簡素生活を続けました。

戦後に財産税や非戦災者税などを課せられて老後資金は没収され、土地家屋以外はまったくの無財産になってしまうという不運にも見舞われましたが、それも耐乏生活による努力と根性で乗り越えてしまいます。

そんな経験を経た上で本多静六氏は

この上は、慢心と、贅沢と、怠惰とを厳に戒めさえすれば、どうやら百二十歳以上までは無事に生きられそうである

本多静六「私の財産告白」より

という結論に達したというのだから驚きます。

「私自身はそこまでストイックな生き方に徹する気概きがいはありませんが、感銘を受ける部分も多く、その考え方の一部でも自分の人生に取り入れてみようと思い、自分なりに蓄財法を実践しています」

「蓄財に取り組むというのは、初めの内は辛さや苦しさを伴う大変な作業になりますが、正しく行うならばそこに辛さや苦しさだけではなく、自分の成長や健全さをしっかりと感じられるようになります」

「継続する内にやりがいや充実感も生まれてきて、『人生の豊かさや幸福は自分である程度コントロールできる』という自信にも繋がります」

「これには多少の向き不向き、早い遅いなどの違いはあると思いますが、やれば誰でも同じような結果を出せるというのはその通りだと思います」

自分自身を天才ではなく凡人の部類だと自覚している人にとって、この書籍で語られている内容は人生の指針となるぐらい素晴らしいものです

『当たり前のことを当たり前に実践できるようになる』それこそが『本質を理解している人』なのだと私は思います。

本質を理解できれば、自分のやるべきことが自然と見えてきます

そのような状態に至ることが、人生の豊かさ・幸福を手に入れるための第一歩になるのではないでしょうか。

おわり

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