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【所感】自分の『考え方』について考えてみる【こうやって、考える。】【やわらかく、考える。】

最近読んだ本
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どうも、サンモトです。

↓最近、こんな本を読みました。

「書籍のタイトルは『こうやって、考える。』・『やわらかく、考える。』で、著者は外山滋比古とやましげひこさんという方です」

「著者の外山滋比古とやましげひこさんは英文学を専門とする大学教授であり、文学博士・評論家・エッセイスト(随筆家ずいひつか)でもあります」

「思考・日本語論など様々な分野で活動を続け、その創造的な仕事ぶりから『知の巨人』と称された人物です」

「この2冊は外山滋比古とやましげひこさんの著書の中から“考える”ということについて関わりのある箇所を抜粋してまとめたものになります」

「出典元になった個別の書籍もいくつか読みましたが、この2冊の方が簡潔に内容がまとめられているので読みやすいと思います」

外山滋比古とやましげひこさんの書籍をいくつか読んでみて、『自分も“考える”ということについて文章にしてみるか(-_-)』と唐突に思い立ち、この記事を書くことにしました」

「そんなわけで今回は“考える”ということについて自分なりに彼是あれこれ語ってみようと思います」

書籍の中で印象に残った考え方

「まずは書籍の中で私が印象に残った考え方を取り上げていこうと思います」

「興味があれば実際に外山滋比古とやましげひこさんの書籍を読んでみて、その考え方に触れてみてください」

体を使って考える

外山滋比古とやましげひこさんは頭(脳)だけを使って考えるだけでは不充分だと言います。

“考える”と一言でいうと、つい頭(脳)を上手く使うことをイメージしがちですが、頭の中だけで考えたことは観念的で実体が伴わない場合が多く、それだけ実生活で上手く活かすことが難しくなるからです。

実生活において活きた知識を身につけるには、体を使って汗を流しながら学習することが前提になると言います。

外山滋比古とやましげひこさんはよく散歩をしながら考え事をして、思いついたアイデアを忘れないうちにメモ帳などに書き残していたそうです」

「私も仕事で歩き回っている時にふとアイデアが浮かんできたりすることがあるので、散歩しながら考えるというのは良い習慣かもしれません」

「その反対に座った状態でも立った状態でも、長時間同じ姿勢で動かないでいると身体に負担が蓄積していくので良くないそうです」

「私も長時間座って本を読んでいたら痔になりかけたし、立ち仕事に慣れるまではよく腰や足が痛めていたのでよくわかります(T_T)」

「身体を動かしながら考えるというのは、現代人が積極的にやるべきことなのかもしれませんね」

『本の読み方』について

外山滋比古とやましげひこさんは本を読むことについて、こんなことを言っています。

『本の読み方』
  • そよ風のようにさわやかに、手当たり次第に読んでみる
  • 愛読書は作らない
  • ノートは取らずに読み捨てる
  • 他人から貰った本ではなく身銭を切って本を買う
  • あいまいさは論理と対立するものではなく、一種の論理である
  • わかりにくさを嫌わない

「書籍の中で私の印象に残った部分をいくつか抜粋してみました」

「全体的に見て『楽しみながら本を読む』ということを勧めているように感じましたし、『あまりこだわりを持たない』ということが大事だなと感じました」

「読書の目的は人それぞれですが、私も嫌々やるよりは楽しんで取り組んだ方が良いと思います」

「知識を詰め込むためではなく、色々な考え方に触れて自分の思考力を鍛えていくために読書をしていくのが良さそうですね」

『文章の書き方』について

外山滋比古とやましげひこさんは文章を書くことについて、こんなことを言っていました。

『文章の書き方』
  • 文章を上達させるコツは毎日文章を書くこと
  • 書きたい気が起きたら逃さないようにする
  • 書くためにはまず読む
  • 読み手を想像する
  • 書いた後は声に出して読み返す
  • 論理的でわかりやすいのが明快な文章

「書籍の中で私の印象に残った部分をいくつか抜粋してみました」

「私もブログ活動を始めてから文章を書く機会が増えたので、色々と参考になります」

『もっと良い文章が書けるようになりたい』とは私も常々感じていることですが、やはり基本的には書いて書いて書きまくるしか上達の道は無さそうです」

「自分の可能性を信じて、これからも書きまくろうと思います(-_-)」

「あと個人的に印象に残ったのは、文章の曖昧あいまいさ・わかりにくさについて肯定的な意見を述べているところですね」

「ブログ記事に限らず現代では具体的な事例や平易な言葉遣いのような“わかりやすさ”が重視されますが、外山滋比古さんは『わかりやすいことが一概に良いことではない』とも言っています」

「文学的・芸術的な抽象性のことを指しているのだと思いますが、読者の想像力を掻き立てるような表現というのは私も意識すべきことなのかもしれません」

「まぁ私の文章のスタイルではそういった遊び心を表現するのは難しい気もしますが(-_-)」

“善玉忘却”のススメ

外山滋比古とやましげひこさんは忘れるということに対してポジティブな見解を持っており、積極的に覚えた知識を忘れる“善玉忘却”を推奨しています。

なぜなら頭の中に知識を詰め込み過ぎるとその知識を使って物事を判断するようになり、自分の思考力がにぶるからです。

外山滋比古とやましげひこさんはこの状態のことを“知識メタボリック症候群”と称して、知識に頼り過ぎるのは危険だと言います。

『よく忘れ、よく考える』

身体に備わった新陳代謝の機能のように、必要な知識を手に入れられたらあとは捨ててしまうのが良いそうです。

外山滋比古とやましげひこさんは『優れた知識は物事を解決する力があるが、知識があるばかりに思考することを止めてしまう恐れがある』と言います」

「他人が考えたことを有り難がって受け入れているだけでは、思考力は身につかないということです」

「他人の考えを鵜呑みにせず、得た知識は自分なりに分解・吸収して糧にしないといけないなと思いました」

「知識を忘れないようにメモを取ったり記録を残しておくのではなく、安心して忘れられるようにするために行うべきなのかもしれませんね」

談論の重要性

外山滋比古とやましげひこさんは『気心の知れた人(特に自分と同じことをしていない人)と乱談・談笑すること』の重要性について指摘しています

自分と違うことをしている人達とリラックスして話し合っていると、自分でも予想していなかったような良いアイデアが出てくるのだとか。

この場合の会話というのはゴシップや世間話のような頭を使わない“おしゃべり”ではなく、知的好奇心を刺激するような軽妙で心が躍る“おしゃべり”のことです。

そんな“おしゃべり”ができるような場や知人を作っておくことが知的生活には大事だと言います。

外山滋比古とやましげひこさんは『本当の心は文字ではなく、声の言葉にあらわれる』とも言っています」

「他人との会話(話す・聴く)は読み書きとは違う方向性で知性を伸ばすのに役立つようです」

「私は基本的に自由気ままに単独行動することを好む人間なので、この“おしゃべり”の効用についてはいまいちピンとこないのですが、一人で出来ることには限界があるというのはよくわかります(-_-)」

「一人でしか出来ないこと、誰かと一緒じゃないと出来ないこと、両方使いこなせるのが理想的なのかもしれません」

「今の所そういった会話ができるような知り合いはいないし、必要性も特に感じていませんが、人生を長い目で見るとそういったことにも力を注いでおくべきなのかなと思いました」

私が普段の生活でしていること

「普段自分が何気なくしていることを改めて文章にしてみると意外なことに気付けたりします」

「なので、ここでは私が普段の生活の中で意識していることや実践していることを色々と書き出してみようと思います」

考える時はあまり食べない

これは最近自分で実践してみて感じることですが、空腹の時の方が頭がスッキリして集中しやすくなります。

何か食べた後だとそれを消化することに労力がかかり、眠くなって頭が上手く働きません。

だから考え事をする時や仕事などの身体を動かす作業をする時はあまり食べないようにしています。

食事に関しては気分転換やストレス発散を目的に行うようにしていますが、暴飲暴食にはならないようにだけ気をつけています。

「肉体労働系の仕事をしている人だと、ある程度食べておかないと働いている途中でガス欠になるかもしれないので、それは気をつけた方が良いでしょう」

「個人的には栄養バランスだとか身体に良い悪いなどの細かいことを考えながら食べる事の方が身体に毒だなぁと思います(-_-)」

考える時は考えることに、食べる時は食べることに集中したいですね」

よく寝る

頭をしっかり働かせるためには、しっかり休ませることが大事です。

頭を休ませるには寝るのが手っ取り早い手段ですが、睡眠時間は短すぎても長すぎてもダメだといわれています。

個人差はありますが成人で6~8時間程度がベストとされ、自分の感覚的にもそれぐらいがちょうど良いのかなと感じます。

『眠くなったら寝て、自然に目が覚めてスッキリと起きる』のが私の理想ですが、会社員として働きながらだとそうも言っていられません」

「安眠グッズを利用したり、日常の雑事を効率良くこなすことで、出来るだけ睡眠の質と時間を確保するように努めています」

「私の場合は仕事が1週間ごとに朝勤と夜勤の交代勤務なので生活リズムが狂いやすく、昔から悩みの種でした」

「基本的には1日ぐうたらして過ごせば調子が良くなるので、休日は身体を休めることに使っています(-_-)」

色々な本を読む

私は色々なジャンルの書籍を読むようにしています

読書はブログ活動や勉強のためにしている部分もありますが、基本的には自分の知的好奇心を満たすことを意識して行なっています

読書のためにまとまった時間を用意するのは大変ですが、早起きして出勤前に読んだり仕事の休憩時間に少しずつ読み進めたりして、月に数冊は読むようにしています

読書の目的は人それぞれですが、個人的には気張らず気軽に行うのが続けやすいと思います

「私は基本的にはAmazonや楽天市場で本を探して、電子書籍で購入してスマートフォンやiPadなどの端末で読んでいます」

「気になった本が紙の書籍しかない場合はとりあえず購入しておき、自宅に積読しておいて寝る前や休日などに読みます」

「色々な本を読みたい場合はKindle Unlimitedなどの読み放題プランを活用するのがオススメですね」

雑音のない所で考えをまとめる

私が考え事をまとめる時は、基本的に自室で一人静かに考え込みます。

大学ノートに手書きしたり、パソコンやスマートフォンからGoogleドキュメントに打ち込んだり、とにかく目に見える形にしながら考えるようにしています。

アイデアのメモ書きぐらいなら外を出歩いている時や仕事の合間にも出来ますが、それを編集する作業は雑音のない静かな場所でないと私には無理ですね。

「ちなみに私にとっての大きな雑音は他人の話し声や存在感です(-_-)」

「世の中には複数のことを同時進行させる“マルチタスク”や、音楽や映像を視聴したり他人と喋ったりしながら作業する“ながら作業”があるそうですが、私にはそういったやり方は出来そうにありません」

「意識が散って上手く集中できないし、色々なことを同時にして上手くやれる器用さもないからです」

「自分が落ち着いて取り組める環境は人それぞれ違います」

「カフェでも自室でもどこでも良いですが、自分が落ち着いて作業できる場所を用意しておくことは大事だと思います」

『考え方』についての考察

さて、ここでは私にとっての“考える”とはどういうことかを少し考えてみようと思います。

『“考える”ことについて考える』なんて禅問答ぜんもんどうみたいな言い回しなので、どうしても取っ付き難い感じになってしまいますね(-_-)
それだけ“考える”という行為を普段は意識せずに行なっている弊害だと思います。

多くの人は“考える”ということを頭の良い人達が議論するような、高尚なテーマのようにとらえているかもしれません。

あるいは

「そんなことをして何か得があるのか?」

「時間の無駄じゃないか?」

というような即物的な損得勘定で、取り組む意義を見出しにくいかもしれません。

今の世の中はわかりやすさや明確さが重視される傾向があるので、このように考える人が多いのも理解はできます。

「実際問題、自分に利益のない(と感じる)ことをやろうと思う人はあまりいないでしょう」

「私も基本的には面倒くさがりなので、見返りの少ないことをやろうとは思いません」

「ただ“考える”ということに関しては誰しも日常的に行うことだし、私は他の人に比べて思考に割く時間が多いという実感があります」

「私にとって“考える”ことは趣味や習慣のような生活の一部という認識です」

「滅多にしないことに真剣に取り組むことは難しいですが、日常的にしていることの質を上げると考えればすんなり納得できます」

「私は自分の生活をより良くしてくれる可能性のあるものなら積極的にやろうと思うし、今のような時代だからこそ、こういった曖昧で成果を判別しにくいことに取り組む意義があるのではないかと感じています」

現代は情報化社会と呼ばれるほど巷に様々な情報が溢れています。

パソコンが一般に普及したおかげで頭の中に知識を詰め込む必要が無くなり、インターネットが発達したことで膨大な情報元から様々な知識を即座に得ることができるようになったからです。

「知ることが容易に出来なかった昔と違い、今は個人で知識を保有していることはさほど重要では無くなってきました」

「もちろん頭の中に知識があれば良いこともたくさんありますが、知識を詰め込むための労力が報われにくくなってきているのは事実だと思います」

「今は知りたいことがあればネットを通じて簡単に調べられるので、便利な時代だなぁと思います(-_-)」

「このように便利になって嬉しい反面、新しい問題も出てくるようになりました」

「それは自分にとっての『良い情報』『悪い情報』の取捨選択が難しくなったことです」

「誰もが簡単に情報を発信・取得ができるようになった今は良いものにも悪いものにも接する機会が増えたため、その情報の信頼性を精査したり活用する方法を個人で考えねばならなくなりました」

「こればかりは技術の進歩でどうにかなるものではなく、自分の頭(身体)でどうにかしないといけない領域です」

情報化社会を生きるということは、自分の力で良い情報を選んで獲得していくということに他なりません。
知識を上手く活用できる人、つまり“考える”力を持った人が求められる時代になってきていると言えるのではないでしょうか。
だから、これからの世の中をより良く生きていくために改めて“考える”ということをしていかねばならないと思うのです。

前置きが長くなりましたが、“考える”ということについて私なりの考察を語っていこうと思います。

外山滋比古とやましげひこさんは書籍の中で『身体を使って考えることが大事』だと何度も言及しています。

私も以前に“体癖論”という概念について学んだ時に人が持つ感受性(気質や体質)の違いについて知ったので、この説はすんなり納得できました。

↓以前書いた“体癖論”についての記事です。

「人にはそれぞれの身体に即した感受性があり、物事の受け取り方にも違いが出てきます」

「私のように頭の中で彼是考えるタイプもいれば、理屈をすっ飛ばして直感的に物事を判断するタイプもいます」

「周りの人の影響を受けすぎて自分では中々決断できないタイプもいれば、気分屋で一貫性のないような考え方をするタイプもいます」

「どれが良いか悪いかといった話ではなく、その考え方がその人(の身体性)に適したものかどうかが重要なのだと思います」

「だから『“考える”ためにはどうすれば良いか?』という疑問には、まず『自分の身体性に則した思考体系を作り上げる』ということを意識せねばならないと私は考えました」

考え方というのは人それぞれ違うものだし、時代や環境によって変化していくものです。

どんな考え方にも長所もあれば短所もあるので、一概いちがいに良い悪いと判断したり優劣をつけることはできません。

少なくとも私は難しいと思っています(-_-)

だからどんな考え方でも、それがその人の生き方に則しているなら特に問題ないのだと思います。

大事なのは『自分にとって重要なことは何か?』『どういったことを考えれば良いか?』という意識を誰もが持つことではないでしょうか。

「他人の考え方でもそれが良いものや感心できるものであれば自分なりに解釈して取り入れる」

「人気があるものや支持されているようなものでも自分にとって悪いものや必要なさそうなことならさっさと忘れてしまう」

「そのような柔軟性を持つことが大切だと思います」

外山滋比古とやましげひこさんが言うように闇雲に知識を収集したり、漫然まんぜんと流行りの思考法を真似るだけでは自分の考え方を身につけることはできません。

自分の身体を使って学び、時間をかけて磨くことが独自の思考を作ることに繋がっていきます。

変化の早い現代だからこそ、このように地に足をつけて“考える”ことに意味があると私は感じています。

以上のことから、私にとって“考える”とは『自分に適した物の見方・捉え方ができるようになる』という表現がしっくりきます。

『自分の身体を通して経験・学習したことの上に成り立つ、血肉が通っているもの』という表現も良いかもしれません。

『色々な人の“考え方”を学んで思考の土台となる畑(脳)を耕し、自分の身体を使って得た知識や経験といった種を埋めて育てる作業』

「それこそが“考える”ということではないかなというのが私の結論です」

「そうやって出来た作物(知恵・思考力)は、たとえ形が小さく歪だったとしても、自分にとって真に価値あるものになるでしょう」

「言葉にすると陳腐ちんぷで泥臭いですが、真に独創的な思考というものはそういった地道なことを継続した結果として身につくものだと思います」

この記事を読んでくれた人にも、『自分にとって“考える”とはどういうことか?』と自問自答する機会をぜひ作ってみてほしいと思います。

それはすぐにわかるようなことではないし、明確さも無ければ、時間が経てば変化するような曖昧模糊あいまいもことしたものかもしれません。

ただ、そういったことについて真剣に“考える”という経験は人生において重要な意味があると私は思っています。

「歳を重ねるごとに変化する自分の思考を観察しながら、楽しく生きたいと思う今日この頃です」

まとめ:自然体で“考える”

思い返せば、自分の考え方について意識する機会というのはあまりありませんでした。

私は家族以外の交友関係はほとんどないし、その家族とも考え方について話し合うなんてことはした記憶がありません(-_-)

だから、今回の記事を書くにあたって“考える”ということはどういうことか?』と真剣に考察してみるのは良い頭の体操になりました。

私のつたない文章を読んでくれた人にも、自分自身の考え方を見つめ直すキッカケになれば幸いです。

「子供の頃の私は『自分は自分、他人は他人』と割り切った考え方をしていました」

「大人になった今でもそういった側面は色濃く残っています」

「他人と上手く関わることよりも、自分の気持ちに正直であることが私にとって重要なことだったのだと思います」

「社会人として働き始めてからは紆余曲折色々あったので『自分のことはもちろん大事だけど、他人のことも尊重して上手く関わらないといけないな』と考えるようになりました」

「世間のしがらみや避けては通れない現実的な問題に直面して、自分はそういったことにどう折り合いをつけていくかに意識が向いてきたからです」

「その頃から『自分はもっと色々なことを考えなければならない』と思い始めて、本を読んだり、自分が興味・関心を持てる事を探したり、自分にとっての有益な学びを得るための活動を始めました」

「この活動を始めてから、役に立つことからそうでもないことまで、色々なことを学べました」

「そして今回、外山滋比古とやましげひこさんの書籍を読んで『ただ知識や経験を増やすことだけに腐心するのではなく、自分なりの考え方というものを確立せねばならないな』と感じた次第です」

私は所詮凡人なので、万人を感心させるような主義・主張を思いつくことは出来ません。
私はどこまでいっても凡人であり、そんな自分を受け入れて生きていくしかありません。

『自分の経験に学び、他人が経験したこと(知識)に学び、自分なりの形を作っていく』

それこそが凡人である私にできる考え方ではないかと思います。

今回の記事を書いてみて、改めて自分にとって“考える”とはどういうことかを見つめ直す良い機会になりました。
自分がより良く生きられる考え方を身につけられるように、これからも努力していこうと思います。

「それをこんな風に自分なりに表現していくことができたら嬉しいですね(-_-)」

おわり〼

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